12月 282011
 

銀座生まれ。

父は化粧品メーカー資生堂の創業者。

コロンビア大学で薬学を学んだあと、ヨーロッパで本場の芸術を体験。

一流の文化人と交流し、芸術家の支援や、アートディレクションでも才能を発揮。

こんなハイソでセレブな写真家が日本にいました。

1883年生まれで1910年代から30年代を中心に活動した、福原信三です。

Shinzo Fukuhara (1883-1948), born in Ginza, Tokyo. Having the founder of famous cosmetic brand Shiseido as his father, Shinzo studied pharmacy in Colombia University. He also went to Europe and experienced the art in the era. He was a celebrity.

2代目資生堂の社長でもありましたから、今でいう「写真家」とは少しイメージが違いますが、一生懸命、写真を芸術にしようと頑張りました。

福原信三は、新しい写真美学をめざすグループをつくったり*1、雑誌を発行したり*2、俳句と写真を結びつける「写真俳句論」を唱えたりしました。

資生堂のシンボルマーク「花椿」をデザインしたのも、福原信三です。

そんな福原信三の、1922年につくられた代表作*3、「巴里とセイヌ」が見られる動画がありました。

Shinzo found a photo group called “Shasin-Geijutsu sha (it means, Photo-Art)” in 1921, when he could have time after serving CEO in Shiseido for 10years. He also published photo magazine and wrote many photographic essays (he even tried to connect photography and haiku).

This photo book was published in 1922 but photographs were taken when he was in Paris around early 1910s.

この写真集は、2000枚の中から24枚を選んだそうです。

1920年代ごろの日本では、絵画のような写真が流行していました。そこから脱却しようと、写真独自の表現を模索した福原信三ですが、この作品は1913年ごろ撮られたもので、ソフト・フォーカスの絵のような写真ですね。

He selected 24 images out of almost two thousands photos. He tried to elevate photography to its own form later his year but these images are still under pictorialism influence.

*1 1921年に写真芸術社を旗揚げした。
*2 『写真芸術』を発行した。
*3 写真は1913年前後に撮られたが、同年の帰国後、資生堂の社長職に就いたこともあり、発表までにはおよそ10年の時間がかかった。

 

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 Posted by at 6:33 PM

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